八橋検校

(やつはしけんぎょう)
(1614―85)江戸初期の箏曲{そうきょく}演奏家、作曲家。近世俗箏の開祖で、八橋流箏曲の流祖。生国は『箏曲大意抄』(1779)以来、磐城{いわき}(福島県)とされるが、確証はなく未詳。初名城秀{じょうひで}。前名山住勾当{やまずみこうとう}。1639年(寛永16)検校に登官。初め上永検校城談と名のっていたが、のちに八橋検校城談と改める。幼いころ失明し、寺尾検校城印に地歌{じうた}三味線を学ぶ。さらに筑紫箏{つくしごと}の祖・賢順{けんじゅん}の門下法水{ほっすい}に筑紫箏を学び、これを改革・発展させて、半音を含む都節{みやこぶし}音階の平調子{ひらじょうし}という新調弦を考案し、近世箏曲を成立させた。貞享{じょうきょう}2年6月12日没。墓所は京都黒谷{くろたに}の常光院。作曲には『菜蕗{ふき}』『梅枝{うめがえ}』『心尽{こころづくし}』『天下太平』『薄雪{うすゆき}』『雪晨{ゆきのあした}』『雲上{くものうえ}』『薄衣{うすごろも}』『桐壺{きりつぼ}』『須磨{すま}』『四季曲{しきのきょく}』『扇曲{おうぎのきょく}』『雲井曲{くもいのきょく}』の箏組歌{くみうた}13曲のほか、『六段の調{しらべ}』『八段の調』『乱{みだれ}』などの段物がある(ただし、曲名は流派により異名がある)。六段 <平山けい子>

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