個人副業経営
(こじんふくぎょうけいえい)
旧ソ連をはじめとする社会主義諸国では、ポーランド、ユーゴスラビアを例外として、農業は集団農場で営んでいたが、そのメンバーは自宅付属地や指定された専用の画地など一定の土地(そのうち耕種部門が展開される耕地を自留地という)を与えられて、集団農作業の報酬を補う源としての経営が認められており、これを個人副業経営という。ソ連の最後の統計である1990年現在で個人副業経営による生産が農産物総生産高中に占める比重は、全体で25.9%、うち耕種19.2%、畜産で30.6%で、肉26.0%、牛乳20.1%、卵27.2%、羊毛20.1%と公表されており、時期がさかのぼるとこれらの数値は70~90%にも達する。もともとは農業集団化の過程で農民の激しい社会化への抵抗に対する措置として許可されたものであるが、その後は集団農業を補完するという位置づけで定着してきていた。1世帯当り普通0.4ヘクタール、乳牛1頭、牡{おす}豚1頭等々と地域差が多少あるが、法的規制を受けていた。集団農場員の個人副業経営からの収入は、1960年には平均46.3%にも達していたが、70年代なかばで25%に低下したとされる。しかし、もともと社会化経営の労働報酬がほとんどなかった時代、コルホーズ農民はこの副業収入で自己の労働力を再生産していたのである。第二次世界大戦後も農場員以外でもこれをもつ者は多く(面積などは小さい)、その生産物も含めコルホーズ自由市場には、集団農場のものにはみられない上質の農産物が流通してきた。コルホーズ市場はモスクワ市内に約30、全国で5000を数えた。
個人副業の担い手は成人男女のほか年金生活者なども多いとみられていたが、耕種関係の農作業の場合は労働の季節的な波が集団農場と重なるので、個人副業は集団農作業の補完とばかりはいえなかった。農村内職種位階とはほとんど無関係といえるほど個人副業はあらゆる階層に広がっていたとみられるが、1970年代、80年代の調査では、社会化経営からの所得(1人当り)が高いほど個人副業収入も高いことを示すものが多かった。むしろ実生活上では、個人副業がりっぱな家ほど尊敬されるステータスシンボルとさえなっていた。ソ連末期ごろの農業政策では、フェルメル(家族経営農場)の創設が奨励された。ソ連解体後、ロシアもこれを引き継いだが、集団農場の実質的解体はあまり進まなかったため、ここでいう個人副業経営は「住民経営」として残った。そのため、たとえば1996年時点でのロシアでは「農業企業」「住民経営」「フェルメル経営」の3種に分かれ、それぞれ牛では67.6%、30.8%、1.7%、豚では58.6%、39.5%、1.8%の割合を占めている。ロシアのフェルメルは約28万経営で、1990年なかばで頭打ちになっている。自留地 フェルメル <中山弘正>
