保良宮

(ほらのみや)
奈良時代、淳仁{じゅんにん}天皇の臨時の宮居。宮跡は、大津市石山国分町一帯。平城{へいじょう}宮を改作するため、759年(天平宝字3)から保良宮の造営を始め、761年10月、孝謙{こうけん}上皇らと移御し、北京と名づけた。唐の北京太原{たいげん}を模した陪都{ばいと}で、宮に近い近江{おうみ}国志賀{しが}・栗太{くるもと}両郡を畿県{きけん}と称して、調庸{ちょうよう}を減免した。恵美押勝{えみのおしかつ}(藤原仲麻呂{なかまろ})の主導で、藤原氏が勢力を伸ばしていた平城の後背地に設けられたもので、新羅{しらぎ}出兵計画に伴う軍事的な危急に備えた遷居といえる。すぐ南方では石山寺の建立が進行中であった。ところが上皇とその看病にあたった道鏡{どうきょう}が親密となり、天皇と上皇の反目が原因となって、762年5月にわかに平城に還幸し、宮は廃止された。 <八木 充>

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