仁海
(にんがい)
(951―1046)平安中期の真言{しんごん}宗の僧。小野僧正{おのそうじよう}また雨{あめ}僧正とも称する。東密事相において広沢{ひろさわ}流と並び称される小野流の始祖。和泉{いずみ}(大阪府)の人。7歳で高野山{こうやさん}に登り雅真{がしん}について出家、醍醐寺{だいごじ}の元杲{げんごう}に伝法灌頂{でんぽうかんじよう}を受け、また諸方に遊学して深義を探る。あるとき、その母が牛になって某所にあるを夢にみ、その牛を購入して養い育て、死後その皮に両部曼荼羅{まんだら}を描いて山城{やましろ}国(京都府)小野の一寺に安置したと伝える。以後この寺を曼荼羅寺と称し、この地に法燈{ほうとう}を建立した。1018年(寛仁2)畿内{きない}の大干魃{かんばつ}に際し請雨{しようう}法を修して法験{ほうげん}を現し、さらにその後9回にわたり降雨を祈ってみな験{しるし}あり、遠く中国宋{そう}にまで雨海{うかい}大師の名を響かせた。東寺長者を務めた。著書に『小野六帖{ろくちよう}』『伝持集』など多数がある。 <吉田宏晢>
