仁木義長

(にきよしなが)
(?―1376)南北朝時代の武将。義勝{よしかつ}の子。頼章{よりあき}の弟。二郎四郎と称す。越後守{えちごのかみ}、右馬権守{うまごんのかみ}、修理亮{しゆりのすけ}、右京大夫{うきようだいぶ}を歴任する。仁木氏は足利{あしかが}一族中の大族で、三河国額田{ぬかた}郡仁木郷(岡崎{おかざき}市仁木{につき}町)を本拠とする一族である。南北朝内乱の初期に足利尊氏{たかうじ}に従い、1336年(延元1・建武3)の菊池武敏{たけとし}との多々良浜{たたらはま}合戦などにおける戦功により、相次いで遠江{とおとうみ}、伊勢{いせ}、伊賀、三河の守護となる。44年(興国5・康永3)には侍所頭人{さむらいどころとうにん}となり幕府政治の中枢となって働いた。観応{かんのう}の擾乱{じようらん}(1349~52)では尊氏に従い、佐々木導誉{どうよ}らとともに京都の防衛にあたった。その後幕府内の権力抗争のなかで細川清氏{きようじ}、畠山国清{はたけやまくにきよ}と対立し、足利義詮{よしあきら}をも巻き込んだ内戦に及ぼうとしたが、結局伊勢に退いた。一時南朝に降服したが、義詮に従うことを願い、許されて京都に帰った。76年(天授2・永和2)9月10日没。 <小林一岳>

【本】佐藤和彦著『南北朝内乱』(『日本の歴史11』1974・小学館)

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