五大老
(ごたいろう)
豊臣{とよとみ}政権の職名。年寄衆{としよりしゆう}ともいい、また、五奉行{ぶぎょう}とあわせて十人衆とも称した。1595年(文禄4)8月、豊臣秀吉は、死後の政局の安定と幼少の秀頼{ひでより}の補佐を図り、徳川家康、前田利家{としいえ}、毛利輝元{もうりてるもと}、小早川隆景{こばやかわたかかげ}、宇喜多{うきた}秀家の5人を政治上の最高顧問に委嘱し後事を託した。97年(慶長2)隆景の死後、上杉景勝{かげかつ}が任ぜられた。98年の秀吉の死後、利家は大坂城の秀頼の補佐に、また家康は伏見{ふしみ}城において政務をとるようになり、五大老は、五奉行の職権を奪って、諮問機関から政務執行の機関となっていった。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いにより崩壊した。五奉行 <佐々悦久>
