二塚山遺跡
(ふたつかやまいせき)
佐賀県神埼{かんざき}郡東脊振{ひがしせふり}村大曲{おおまがり}字松葉と三養基{みやき}郡上峰{かみみね}町堤{つつみ}字5本谷の通称二塚山丘陵上に営まれた弥生{やよい}時代の墳墓群。1975年(昭和50)佐賀県教育委員会により工場団地造成の事前調査が行われ、弥生時代前期から後期にかけての甕棺墓{かめかんぼ}、土壙{どこう}墓と箱式石棺墓など252基と墓地祭祀{さいし}遺構六か所が発見された。墳墓からは漢式鏡、ぼう製鏡計六面をはじめ、鉄製の刀・剣・矛の武器、貝製腕輪、ガラス製管玉{くだたま}、小玉{こだま}などが多数の人骨とともに出土した。人骨は、東脊振村三津永田{みつながた}遺跡の人骨とともに北部九州・山口型弥生人の典型とされている。墳墓の全域が発掘調査されており、埋葬数・営墓期間から約20人強の集団で約250年間にわたって継続的に営まれたと推定され、当時の社会構成を知る重要な手掛りである。 <高島忠平>
