三笠宮崇仁

(みかさのみやたかひと)
(1915― )皇族。大正天皇の第4男子。大正4年12月2日生まれ。幼称は澄宮{すみのみや}。幼年時代はその詩作で「童謡の宮様」とよばれた。1935年(昭和10)三笠宮家を創立。陸軍士官学校48期。陸軍大学校卒業。第二次世界大戦中は支那{しな}派遣軍参謀などの軍職にあった。この間、41年に子爵高木正得次女百合子{ゆりこ}と結婚。戦後、東京大学史学科の聴講生となり古代オリエント史の研究を始める。歴史学者としての立場から紀元節復活反対の意志表明を行ったり、歴史学研究会会員として活動するなど、自由で進歩的な態度が注目された。日本オリエント学会名誉会長、日本レクリエーション協会総裁、中近東文化センター総裁などを務める。著書に『帝王と墓と民衆』(1956)、『古代オリエント史と私』(1984)、訳書にJ・フィネガン『考古学から見た古代オリエント史』(1983)などがある。長男は寛仁{ともひと}、次男は桂宮宜仁{かつらのみやよしひと}、三男は高円宮憲仁{たかまどのみやのりひと}。 <小田部雄次>

【本】三笠宮崇仁著『古代オリエント史と私』(1984・学生社)

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