工場法

(こうじょうほう)
工場労働者の保護を目的として、国家が労働契約に直接介入することによって労働条件を規制する法律をいう。

【イギリスの工場法】
その嚆矢{こうし}は、資本主義がもっとも早く発展したイギリスにおいて、1802年に成立した「工場徒弟の健康および道徳の保護に関する法律」である。産業革命によって誕生した機械制大工業においては、それまで生産に不可欠であった熟練労働者にかわって、児童や婦人が低賃金労働者として大量に雇用され、劣悪な労働環境の下で長時間にわたって使用されるようになった。このような児童・婦人の大量雇用と長時間労働は、成人男子労働者の賃金を低下させ、失業させたばかりか、労働者の家庭生活をも深刻な危機に追いやった。なかでももっとも大きな被害を受けたのは児童労働者である。工場における長時間労働と家庭生活の解体によって、彼らの精神的・肉体的荒廃は著しく進行し、児童労働者問題が時の大きな社会問題として注目されるようになった。このようななかで、人道主義者、社会改良家、社会主義者、労働組合、一部の綿工場主、地主などが、それぞれの立場から児童労働者の保護を求めて工場改革運動に立ち上がり始めた。この運動の最初のささやかな成果が、先に指摘した1802年法の成立である。その後、ロバート・オーエンなどの努力によって相次いで法律が制定され、その内容も若干改善されたが、いずれの法律においても有効な実施機構が整備されなかったため、これらの法律はほとんど規制力をもちえず有名無実化してしまった。
1830年代になると、労働組合運動が本格的に工場改革運動に取り組み始め、この結果、各地域に時間短縮委員会が結成され、その運動が大いに発展した。この運動の高揚のなかで成立したのが1833年法である。それは次のような内容の条項からなっている。〔1〕9歳未満の児童の雇用の禁止、〔2〕18歳未満の年少者の労働時間の制限(1日12時間)、13歳未満の児童の労働時間の制限(1日8時間)、〔3〕18歳未満の年少者・児童の夜間労働の禁止、〔4〕児童労働者の教育の義務化、〔5〕工場監督官制度の創設、である。内務省によって任命された〔5〕の工場監督官には、法律の有効な実施を保障するために、工場への立入権や規則の制定権などきわめて大きな権限が与えられた。したがって、この1833年法によって初めて、法律の有効な実施への道が大きく切り開かれることになったのである。
これ以降、1844年法では婦人労働者に保護対象が拡大され、さらに、1847年法では労働時間の制限が10時間に短縮されたように、工場改革運動の粘り強い努力によって、イギリス工場法はしだいにその適用範囲を拡大し、保護内容も豊かなものに発展した。また、先進諸国においても、19世紀の後半にかけて、ほぼ同じ内容をもつ労働保護法が制定され、今日に至っている。

【日本の工場法】
イギリスに遅れることおよそ110年、日本の工場法は1911年(明治44)に成立した。それは、〔1〕16歳未満の児童および女子の労働時間の制限(1日12時間)と、深夜労働の禁止、〔2〕12歳未満の児童の雇用禁止、を中心内容とするものであった。しかし、この法律は、資本家側の激しい反対のなかで、その適用範囲が労働者を15人以上使用する工場に限定されたうえ、非常に多くの例外規定をもち、当時の国際水準からして、きわめて低い水準の保護内容であった。日本の労働保護法がいちおう国際水準に到達するのは、第二次世界大戦後の1947年(昭和22)、工場法にとってかわって制定された労働基準法によってである。労働基準法 労働法 <湯浅良雄>

【本】B・ハチンズ、A・ハリソン著、大前朔郎他訳『イギリス工場法の歴史』(1976・新評論) ▽戸塚秀夫著『イギリス工場法成立史論』(1966・未来社) ▽風早八十二著『日本社会政策史』上下(青木文庫)

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