子游
(しゆう)
(前517/前507―?)孔子(孔丘{こうきゆう})の弟子。姓は言{げん}、名は偃{えん}。子游は字{あざな}。呉{ご}の人(あるいは魯{ろ}の人)。四科十哲の文学にあげられる。孔子に受業ののち、魯の武城{ぶじよう}(山東省)の宰{さい}(長官)となり、礼楽をもって治めて、武城弦歌の誉れがあり、また澹臺滅明{たんだいめつめい}をみいだした。『孟子{もうし}』には、子夏{しか}・子張{しちよう}とともに有若{ゆうじやく}を孔子の後継に推そうとして曽子{そうし}に反対されたとある。礼の形式を重んずる客観派の1人であるが、また『論語』子張篇{へん}では、子夏の門人が形式主義であると批判し、「喪は哀を致{きわ}めて止む」などともいっている。 <宇野茂彦>
