塑像
(そぞう)
塑は粘土を意味し、土でつくった彫像の総称。広義には石膏{せっこう}像も塑像の一つだが、通常は東洋に古くから伝わり、?{てん}、攝{せつ}、?{しょう}、塑、素、泥などとよばれた像をさす。その源流は西域{せいいき}にあるといわれ、仏教美術の東流で中央アジアから中国、日本へと伝えられた。
中国では古くは敦煌{とんこう}、麦積山{ばくせきざん}の石窟{せっくつ}寺院などに多くの遺品があるが、すでに六朝{りくちょう}時代(3~6世紀)にも北魏{ほくぎ}の都のあった大同や竜門の石像と並んで多くの塑像がつくられ、唐代(7~10世紀)に隆盛を極めた。
日本へは7世紀ごろの伝来と考えられ、飛鳥{あすか}(奈良県)の川原{かわら}寺の裏山から、かつて同寺に安置されていた塑造の仏像の断片多数が近年発見され、なかには丈六{じょうろく}像の腕と思われるものもあって塑像の盛行を示しているが、現存のものとしては奈良・當麻{たいま}寺の弥勒{みろく}仏坐像{ざぞう}(国宝、7世紀)が最古の例である。制作の技法は像の大きさや形によっても異なるが、芯木{しんぎ}に藁{わら}や縄を巻き、粘土を何層かに分けて少しずつつけては乾燥させる。土は表面に近いほど細かいものを用い、粘着力を増すために膠{にかわ}や?{すさ}(藁や麻を細かく刻んだつなぎ材)を混ぜる。また、ある程度彫刻した木心に薄く塑土をつけたものや、躯幹{くかん}部を複雑な木枠でつくり、これを木舞{こまい}(木や竹を細く裂いて編んだもので、土壁の芯材に用いる)で囲って、その上に粘土を盛る方法もあり、これは木舞の内側に空間ができるので像の重量を軽くできる利点がある。
奈良時代は、当時流行の写実的表現に適したことから塑像の全盛期となり、法隆寺五重塔の塔本四面具、東大寺法華堂の日光・月光{がっこう}像と執金剛神{しっこんごうしん}像、同寺戒壇院の四天王像、新薬師寺の十二神将像(以上国宝)などの名作を残しているが、土を乾燥させただけなので、気候風土の点から中央アジアや中国には適しても、多湿なわが国には不向きで、その脆弱{ぜいじゃく}さ、過大な重量という欠点のために、平安時代に入るとしだいに衰えた。わずかに鎌倉時代になって肖像彫刻のような写実性を重視する像に用いられた例もあるが、これも中国宋{そう}代の彫刻の影響と考えられる。 <佐藤昭夫>
