即位
(そくい)
皇嗣{こうし}が天皇の位を継承することで、「しょくい」とも読む。天皇が位につくことを国語では「アマツヒツギシロシメス」ということばで表現したが、これにあてられた漢語が践祚{せんそ}、即位であり、本来区別なく用いられていた。この即位(践祚)の規定は養老令{ようろうりよう}では神祇{じんぎ}令のなかにみえるが、持統{じとう}天皇(在位687~697)の即位の際、物部{もののべ}が大盾を立て、中臣{なかとみ}が天神寿詞{あまつかみのよごと}を奏し、忌部{いんべ}が神璽{しんじ}の剣鏡を奉り、百官が羅列して拍手し、新帝を拝したという記事もその規定とよく一致するので、さかのぼって浄御原{きよみはら}令におけるなんらかの規定も想定しうる。ところが、桓武{かんむ}天皇(在位781~806)が受禅ののち、日を隔てて即位の儀を行った例を初めとして、践祚と即位が別の儀式として分離されるのが例になると、即位の語は、皇位の継承を諸神・皇祖に告げ、天下万民に宣する儀式(即位式)をさすものとなっていった。『弘仁{こうにん}儀式』では譲国儀と即位儀が区別され、『貞観{じようがん}儀式』に至って唐風を加味した盛大な次第が定まり、以後の範となった。その大要を示すと、式日に先だっては、即位の由を告げるために伊勢{いせ}神宮に幣帛{へいはく}を奉り(由奉幣{よしのほうべい})、諸陵墓に告陵使を派遣する。また当日着用の冠服を覧ずる(礼服御覧{らいぶくごらん})。当日は庭前に日月幢{じつげつのどう}、四神および万歳旗、陣鉾{じんのほこ}を立て、冕服{べんぷく}を着けた天皇が高御座{たかみくら}につき、宣命大夫{せんみようのたいふ}が即位宣命を読むとともに、礼服を着用して列立する百官は拝舞し、武官は旆{はた}を振って万歳を称した。この即位の儀式は、大極殿{だいごくでん}で行う例であったが、1177年(治承1)に焼亡して以来再建されなかったため、安徳{あんとく}天皇は紫宸{ししん}殿、後鳥羽{ごとば}天皇以後は太政官庁で、さらに後柏原{ごかしわばら}天皇以後は紫宸殿で行われた。
明治天皇のときに至り、礼服、高御座にかえて、衣冠束帯を用いるなど、従前の唐風を改めてわが国固有の儀に従うという方針に基づく新様式の即位式が行われたが、その後、旧皇室典範(1889)、登極令(1909)において、即位の礼は秋冬の間に京都で行うことなどの詳細が定められた。現在の皇室典範では「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う」(24条)と定められている。 <杉本一樹>
