半太夫節

(はんだゆうぶし)
江戸浄瑠璃{じようるり}の一流派。江戸半太夫(?―1743?)が貞享{じようきよう}(1684~88)ごろに創始した。肥前{ひぜん}節、半太夫節、河東{かとう}節をあわせて江戸節と総称される。初世半太夫は幼名を半之丞{はんのじよう}といい、修験者{しゆげんじや}の子で説経祭文{さいもん}の巧者であったが、江戸肥前掾{ひぜんのじよう}に勧められてその門弟となり、肥前節に虎屋永閑{とらやえいかん}の永閑節を加味し、和らげて一流を編み出し、薩摩浄雲{さつまじよううん}以来の名手とうたわれた。元禄{げんろく}年間(1688~1704)がその最盛期で、操座{あやつりざ}をおこし、座敷浄瑠璃を主として歌舞伎{かぶき}芝居にも出演し、正徳{しようとく}(1711~16)のころに坂本梁雲{りよううん}と改名した。上方{かみがた}でも吾妻{あづま}浄瑠璃とよばれ、永閑節、土佐{とさ}節などと並び、とりわけもてはやされて流行し、今日でも地歌に半太夫物として楽曲の一部が残されている。
なお2世は初世の二男半次郎が継いだ(長男宮内説もある)。高弟の天満屋藤十郎が、江戸太夫河東を名のった1717年(享保2)以降はその人気に押されて衰退し、半太夫の名も7世を数えたが幕末には消滅し、半太夫の語物は河東節のなかに包含されて今日まで継承されている。 <林喜代弘>

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