加藤景廉

(かとうかげかど)
(1143/56―1221)鎌倉前期の御家人{ごけにん}。景員{かげかず}の子。通称加藤次{かとうじ}。藤原利仁{としひと}あるいは能因{のういん}法師の後裔{こうえい}と伝えられる。もと伊勢{いせ}国(三重県)に住したが、父とともに伊豆国(静岡県東部)に移ったという。1180年(治承4)源頼朝{よりとも}の挙兵に際しては、初め頼朝の身辺警固にあたり、ついで山木兼隆{やまきかねたか}の首をとった。以後も数々の軍功をあげ、遠江{とおとうみ}国(静岡県西部)浅羽荘地頭職{あさばのしようじとうしき}や美濃{みの}国(岐阜県南部)遠山{とおやま}荘を与えられたが、1200年(正治2)梶原景時{かじわらかげとき}の謀反に連座して、所領没収となった。19年(承久1)源実朝{さねとも}の死去により出家、覚蓮房妙法{かくれんぼうみようほう}と号す。承久{じょうきゅう}3年8月3日没。 <杉橋隆夫>

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