加島屋

(かじまや)
江戸時代、大坂の豪商。
(1)玉水町加島屋(広岡)久右衛門。家伝では、赤松系源則弘{のりひろ}を祖とし、16世紀後半、武を捨て、摂津(大阪府)川辺郡に帰農。寛永{かんえい}年間(1624~44)初代が大坂御堂前{みどうまえ}に精米・両替業を始め、のち玉水町(大阪市西区)で諸国米問屋・両替を兼業、1679年(延宝7)には尼崎{あまがさき}藩蔵屋敷名代であったといわれる。享保{きょうほう}(1716~36)には大聖寺{だいしょうじ}藩蔵元となり、浜方を代表する米商人であった。1731年(享保16)大坂町奉行{ぶぎょう}への米価引き立て策答申により、蔵屋敷払米入札の仲買を限定した米仲買株札制度ができ、「米年寄」を命じられたが、退役して手広く営業、70年(明和7)萩{はぎ}藩大坂蔵屋敷留守居{るすい}格に任命された。天明{てんめい}(1781~89)の米価騰貴で家屋敷が打毀{うちこわし}にあったときの資産は銀2万7000貫目あり、鴻池{こうのいけ}に劣らない蓄積を遂げている。幕府御用金は宝暦{ほうれき}(1751~64)以来最高額を負担し、公金融通組合の大名貸、吹直し金銀引替の公用、津和野{つわの}、中津、福井、高崎諸藩の蔵元を勤めた。堂島{どうじま}が生んだ代表的大名貸商人である。1888年(明治21)加島銀行を創立。また94年創設の真宗生命保険は1902年(明治35)には合併により大同生命保険となった。
(2)大川町加島屋(長田)作兵衛。家伝では、後北条{ごほうじょう}氏家臣を始祖とし、商に転じ、寛永年間堺{さかい}より来坂、南本町、北浜から、享保年間には玉水町店を構える米仲買となり、肥後藩蔵元掛屋、宇和島藩紙方蔵元掛屋を勤め、宝暦御用金は第四位の1万5000両を受ける。米仲買株は譲渡して、天明ごろ大川町に移転後、水戸{みと}御貸付役所支配として、公儀上納金貸付名目と郷貸形式で大坂払米代銀のほか自己資金を大規模に諸藩に貸し付け、芸州御蔵紙蔵元掛屋、篠山{ささやま}・飫肥{おび}藩仕送り御用などを勤め、1856年(安政3)諸藩扶持{ふち}給米代は銀185貫目に達し、万延{まんえん}御用銀は鴻池、玉水町加島屋とともに最高額3000貫目を引き受ける。分家の船町作五郎と尼崎町作次郎は、本両替・入替両替五軒にあげられる浜方先納などの大名貸商人。維新に際し、新政府の財政に協力、また商社を設立したが、1873年(明治6)陸軍省預り金の即時上納を命ぜられて果たせず、閉店。 <川上 雅>

【本】宮本又次著『大阪町人』(1957・弘文堂) ▽森泰博著『大名金融史論』(1970・大原新生社)

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