創氏改名
(そうしかいめい)
日本が植民地朝鮮支配の末期、朝鮮民族古来の姓名制を廃止し、日本式の氏名制にかえさせた皇民化政策。1939年(昭和14)11月朝鮮総督府は朝鮮民事令「改正」で創氏改名の条文を公布し、翌年2月に施行した。その内容は、朝鮮の家族制度の根幹であった男系の血族を表す姓制度を全面的に否定して、日本式の家を中心とする氏制の創設を義務づけ、日本式氏名を名のる道を開く(任意的)というものであった。創氏改名は「皇民化」「内鮮一体」の指標として、創氏しない者に対しては、子弟への圧力、就職差別、非国民扱いなど、いろいろな社会的制裁、圧迫が加えられた。多くの朝鮮人は、日本の天皇制的家族制度を強要する民族抹殺政策としてこれに反対し、抗議自殺をしたり、また「犬糞倉衛{いぬくそくらえ}」など揶揄{やゆ}的な名前をつけたりして抵抗を試みたが、40年8月10日の期限までに約322万戸(約80%)が届け出た。45年8月15日の解放によって朝鮮古来の姓名制に復帰した。皇民化政策 <朴 慶 植>
