刑務所
(けいむしょ)
狭義では自由刑に処せられた者を拘禁するための営造物(懲役監・禁固監・拘留場)をいい、広義では監獄法にいう監獄と同義で、拘置監を含むが、さらに労役場もあわせていう場合もある。
【種類】
懲役監・禁固監・拘留場はそれぞれ懲役・禁固・拘留の各受刑者を拘禁し、拘置監は被疑者・被告人、拘禁許可状・仮拘禁許可状・拘禁状により拘禁した者、引致状により留置した者、死刑の言い渡しを受けた者を収容する。労役場は罰金・科料の全部または一部を納入できない者を収容する。監獄の名称および位置は、「刑務所、少年刑務所及び拘置所組織規定」により定められ、もっぱらまたは主として懲役監・禁固監・拘留場を内容としているか、それとも拘置監を内容としているかに応じて、何々刑務所、何々拘置所と名称が区別されている。警察官署に付属する留置場は監獄に代用することもできるが、監獄の一種ではない。
懲役監・禁固監・拘留場・拘置監は別々の場所に建てるのがたてまえとなっている。やむをえず同一区画内に設ける場合には、各種の被収容者を接触させないようにし(分界)、とくに男監と女監の間に障壁を設けて厳画する(分隔)。もっとも、現在では、受刑者の収容分類を実施するため、刑務所は、A級(一般成人男子中、犯罪傾向の進んでいない者。静岡・福井など)、B級(一般成人男子中、犯罪傾向の進んでいる者。府中・長野など)、L級(成人男子中、執行刑期8年以上の者。千葉・熊本など)、J級(少年。川越・松本・奈良などの少年刑務所)、Y級(26歳未満の成人。函館{はこだて}・盛岡など)、M級・P級(それぞれ知的障害者、身体上の疾患または障害のある者。八王子・岡崎などの医療刑務所)、W級(女子。栃木・和歌山などの女子刑務所)、F級(日本人と異なる処遇を必要とする外国人。横須賀・府中など)、I級(禁固に処せられた者。市原・加古川など)に大別されている。
【沿革】
監獄は人を拘禁するところであって、人を処罰するところではないという思想は、ローマ時代から行われ、古代・中世を通じて近代初頭に至るまで存在した。それは、当時の主たる刑罰は死刑と身体刑であって、監獄はただ犯罪者を処罰するまでのあいだ拘禁する場所として使用されたことによる。自由刑に形式が近似するローマ時代の鉱山労働や、中世から近世にかけてみられる城塞{じょさい}構築のための城塞刑などは、拘禁を伴う身体刑、犯罪人の労働力を利用しつつ肉体的な苦痛を与えるための刑であり、1532年のカロリナ刑法典(ドイツにおけるローマ法継受時代の統一的大刑事法典)にみられる終身禁固は、死刑執行の一方法であった。そのため、とくに16世紀の中ごろまでは、犯罪人を城塔や地下の洞穴に監禁することが多く、しばしば不衛生な、飢餓を強いられる状態がみられた。そのことは、また監獄が、犯罪人を威嚇して犯罪の予防を図ったり、拷問の一種として自白を強要したりするための手段に利用されたことを意味する。
自由刑が芽生えたのは近代に入ってからのことで、その場合にも、当初は従来の監獄においてではなく、寺院その他の別の施設で犯罪者の強制労働による規律と労働への教育が図られたものであった。この形式が監獄拘禁と結び付くことによって自由刑が誕生する。しかし、そこには、啓蒙{けいもう}思想による死刑の排撃、残虐な身体刑に対する躊躇{ちゅうちょ}、そして他の刑罰方法を模索する過程で自由刑に行き着いたという事情もあって、監獄の状況は依然として悲惨なままに放置された。イギリスのジョン・ハワードは1777年に監獄についての画期的な著作『イングランドおよびウェールズにおける監獄事情』を公にし、当時のそれが不衛生なること伝染病の温床のごとく、無秩序なること犯罪学校のごとくであることを世に訴え、ここに、監獄作業を伴う独居拘禁を採用すべしとするいわゆる刑務所改良運動が始まる。この運動はアメリカに渡り、フィラデルフィア監獄協会(1776年ペンシルベニア監獄協会として発足)を通して開花結実した。
日本では、16世紀末のアムステルダム懲治場と並び称される人足寄場{よせば}の制度が江戸時代にあり、刑政思想に進歩的なものがあったが、近代的な自由刑制度と獄制は、明治初期、香港{ホンコン}、シンガポールなど、当時のイギリス植民地のそれらに学んで導入された。1872年(明治5)の『監獄則及図式』の緒言には「獄トハ何ソ罪人ヲ禁鎖シテ懲戒セシムル所以{ゆえん}ナリ、獄ハ人ヲ仁愛スル所以ニシテ人ヲ残虐スル者ニ非ス人ヲ懲戒スル所以ニシテ人ヲ痛苦スル者ニ非ス、刑ヲ用ルハ已{やむ}ヲ得サルニ出ツ国ノ為メニ害ヲ除ク所以ナリ獄司欽{つつしみ}テ此{この}意ヲ体シ罪囚ヲ遇ス可{べ}シ」とある。監獄が内務省の所管とされた明治の中ごろまでは、各府県費の支弁にかかる府県監獄と、国庫支弁にかかる内務省直轄の集治監とが区別されていたが、1903年(明治36)の司法省移管と同時に獄制の統一・整備のため監獄はすべて国庫支弁となった。現在は法務省の所管で刑務職員は国家公務員である。刑務官
【建築様式】
刑務所の建築は、拘禁・戒護の便を図りつつ、被収容者の保健・衛生その他処遇上の効果を考慮してさまざまのくふうがなされている。現在に引き継がれた諸様式は、18世紀の中ごろからとくにアメリカで発達したものである。日本では比較的古い刑務所では、放射翼型、扇型、十字型がとられたが、1928年(昭和3)の刑務所建築準則では原則としてT字型、複房式とし、例外的に十字型や扇型とすることができる。房舎の方位は日当りを考えて各翼とも東西の軸に平行させず、とくに独居房などはできるだけ南北の軸に平行につくるものとする。居房の広さの標準は間口1.5メートル以上、奥行2.5メートル以上、気積は、昼夜独居房は18立方メートル以上、夜間独居房は15立方メートル以上、雑居房は、定員16人以下として、1人につき9立方メートル以上を標準とする。居房の床は防湿性の構造とし、壁・天井はセメント漆食{しっくい}塗り・モルタル塗りなど耐水性のものにし、室内の色彩は天井・壁上部は白色にすることもできるが、原則として淡緑や淡黄にする。窓の面積は床面積の10分の2以上を標準とし、照明装置は原則として各房1灯以上、床面積1平方メートルにつき1燭光{しょっこう}以上でなければならない。居房の室内温度は華氏40度ないし50度(摂氏4.4~10度)、夜間は35度(同1.7度)以上の標準を下らないようにし、寒冷地では房舎の中央に暖房具を装置することになっている。房内には寝台、書籍棚、洗面器、水洗式便器を設け、床には畳を敷くこともできる。
刑務所の区画の内部には各種作業場が設けられるほか、運動場・花壇などもつくられている。戦後新しく建てられた刑務所は、近年の行刑思想も反映して、準則の条件をはるかに上回る構造と設備をもつようになった。刑務所の区画の外部には障壁を設けて外部との接触を遮断するのが普通であるが、最近では、障壁、鉄格子、鍵{かぎ}など逃走防止のための物理的設備を設けない開放施設もつくられている。刑罰 刑務作業 <須々木主一>
【本】小野清一郎・朝倉京一著『改訂監獄法』(1972・有斐閣) ▽小河滋次郎著『監獄法講義』(1967・法律研究社) ▽正木亮著『新監獄学』(1951・有斐閣) ▽大塚仁・平松義郎編『行刑の現代的視点』(1981・有斐閣)
